2024.2.26

気がついたら、土曜から四連休ということになっていた。明日まで休み。週三働いて残りは休みなんていう贅沢な暮らしも、あと一ヶ月だと思うと、時間のある今のうちにしておいたほうがよいことがあるのではないかと焦る気持ちが湧いてくる。しかし時間だけあっても、休みが多い分お金もない。外出すると出費が増えるので、外にでるときには後ろめたい気持ちにもなる。

近所のサイゼリヤにはよく行くのだが、お昼の時間帯にいつもいるおじいさんがいて、たいてい自分が来る時にはすでに店内にいて新聞をよんでいるのだけれど、今日はこちらの方が早かった。入り口のところで案内されるのを待つ様子をみて、なんだか新鮮に感じる。すでに席にいて新聞をよんでいる姿しか見たことがなったので、その前後にも、当たり前なのだけれど、それ以外の時間がその人にあるということが、こうしてそれを目撃することではじめてわかる。

小さいとき、自分に会っている時間だけその相手は存在していて、自分と会う前や別れたあとには、その人は消えてしまって、いないというイメージがあった。そんなわけないのだけれど、確かにそう思うのが道理だとも感じる。いつのまにか、自分の直面しているのは世界の一部でしかないということをわかって、生活を送っているわけなのだけれど、こうしてサイゼリヤでおじいさんの入店の様子をみると、いや、わかっていなかったと思う。ほんとうにそれをみるまで、わからない。

北海道の熊害のニュースを読んでいたら、だいぶ時間がすぎていて、二時をまわっていた。熊に害で、ゆうがい、と読むらしい。襲われて亡くなった大学生の名前が実名ででていて、珍しい苗字だったので検索してしまう。事件の記事に並んで、彼の学歴とかインスタのアカウントを追ったまとめサイトがいくつもあった。部活のこととか、進学のこととかがかいてあった。顔写真は載っていなかった。綺麗な顔が頭にうかんで、これは一体誰なのだろうと思った。実際には会えないとか、顔をみれない、誰なのかわからない、そういうほうが相手のことを親密に思えてしまうのは、なんだか、人にはあまり言わない方がよいかもしれない。