2024.1.1

元旦の朝から喧嘩。文章にするのがめんどくさいので書かないけれど、栗きんとんが原因。母親が昨日買ってきた一箱600円の栗きんとん。母親と祖父母はこうしてよく些細なことをきっかけにぶつかる。お互い日々の苦労があって、それが小さなところをきっかけに顔をみせる。何度も繰り返されてきたし、これからも繰り返す。どういうことをきっかけにどう怒って、どれにどう反応するのかまで、同じように繰り返す。この劇がこれから変化することってあるのだろうか。例えば僕に子どもができて、妻子をひきつれて帰ってきたりしたら変わるのかもしれない。そしたらまた新しい劇がはじまるだけだ。

9時に駅で待ち合わせて初詣に行くはずだったけれど、間に合わないので不参加の旨をグループラインに送る。中学時代の部活の仲間たち。

実家にいると、外出することへの罪悪感をかんじる。みんなもっと好き勝手に外出してほしい。もともと自営業で自宅が働く場だったからだろうか、みんな働いてるのに自分だけそこから抜けだすような罪悪感。東京へもどる新幹線でも、いつもそんな気分がすこしある。

しかしやはり外へでたくなり、コメダ。元旦もやっているのね。家をでるときには「靴下買いに行ってくる」と謎の嘘をついた。まあ実際、靴下一束しかもってきてないので買わないといけないのだけれど。この一時間でだいぶ救われるものがあると思う。ひとりでコーヒーを飲む。こういう避難というか、自助の術を彼らはもっているのだろうか。それが最も心配かもしれない。それさえあればなんとかやっていけたりするはず。

夕方、地震が起きた。けっこう大きかった。テレビをみて、能登半島のあたりが震源のようだとわかった。津波の警報もでていたからこのあたりはどうなんだろうと市のハザードマップググる。見方がよく分からない。自分の家では停電も断水も起こらなかった。こういう日に限って夕飯は天ぷらだった。あげている最中に巨大地震がおこり油が撒き散らされて火事になるところをイメージしようとしたけれど、うまく想像できない。こういうとき、なにをみて、なにを大丈夫だと思うのか、自分ではよく分からなくて、情報をもとめてしまう。スマホをひらくと心配するメッセージがきていて少しうれしくなった。