2023.09.19

チャージスポットを昨日も一昨日も使ってしまった。あれを多用するのは人として大変だらしないことだという謎の規範を内面化してしまっているので、罪悪感を感じる。

自分が思っている以上に自分の風体が小汚いのではないという恐怖がここ数日あって、焦って新しい服を探したり、爪を切ったり、よく顔を洗ったりしている。今使っているリュックのファスナーが壊れていて、閉まらないので開けっぱなしのまま使っているのだけれど、少し異常なことだったかもしれない。自分はそういうはしたなさに鈍感で、ハッとそれに気がついたとき途端に恥ずかしくなる。もっと恥じらいをもって生きたい。恥じらいをもつためには、ある意味で呪いにかからないといけないのだと思う。古臭い慣習や、そんなのどうでもいいじゃないかと言いたくなるような体裁にぐっと身をゆだねて、それを飼い慣らす必要がある。どうでもいいのを分かったまま、ちゃんとやる。