2024.3.5

雨。ユニクロの折り畳み傘を持っていたはずなのだけれど、こないだから見当たらない。なんとなく新しいのを買うのが躊躇われて、ここ数週間は雨の気配がある日は多少濡れても平気な上着を着て過ごしていた。

今日は家をでてから雨が降るのだと気がつき、ダイソーに寄る用事があったので五百円の折りたたみ傘を買ってしまった。小さい。頼りない大きさと細さだけれど、その分かさばらない。なるだけ傘はささないでいたい方だし、まあよいだろう。それに小さな傘の方が歩道を歩くとき、すれ違う人とぶつからなくて済む。

ユニクロの折り畳み傘はこれまでに何回か書い直している。だいたい買ってから一年くらい経つとどこかへなくしてしまって、見当たらなくなってしまう。ぼんやりと置き忘れた場所に見当がつくときもあるのだけれど、それも不確かなもので、結局あの傘たちがどこにいったのかは分からないし、なんとなくそれでよい気がしてしまうというか、他のものに比べて、そういうふうに自分から離れていくことに驚きが少ない。もしかしたらもっと大切にするべきなのかもしれない。いつのまにかなくなっているようではなく、その不在にすぐ気が付くくらいに。でもやっぱりそれができない。

ボールペンもよくなくす。ボールペンを最後までしっかり使い切って、ゴミ箱に捨てるまでやりきったことがない。これまでに何本にボールペンを握ったのか検討もつかないけれど、こうやって考えると大量のボールペンをなくしてきたのだと思う。自分のものならまだいいのだけれど、人から借りたボールペンもたくさんなくしたような気がする。中高のとき、人からペンを借りてそのまま返すのを忘れることがよくあった。それ私のだよね、と言われてからはたと気づく。ものへの愛着のある相手からすれば、ひどい行いなのだろうと思う。どうしてそうなってしまうのか、よく分からない。

ペンや傘を軽んじているようなつもりはないのだけど、何かを軽んじている人というのは大抵において自覚のないものだから、僕もそうなのかもしれない。しかし、こうやってそのことについて書きながら、自分のなくした傘やペンを思い起こすと、それに伴う思い出や昔の記憶が蘇ってくるような心地もして、それらとセットになっているペンや傘と自分との関係は、悪くないのではないかとも思ってしまったりもする。これもまた、ペンや傘の側からしたらふざけるなという話なのかもしれないけれど。