2023.6.7

i2023.6.7

Phone XRからSE2へと変わり、少し小さくなった画面でタイプしている。3日間の帰省の中で、僕の使っていたiPhone XRは母のもとへと渡った。自分はAmazonで買った整備品のSE2をこれから使う。SE2はXRよりも新しいのだが、ダウングレードしたような気分だ。最近は実家に帰ると、どうも落ち込むことがある。なにか特筆するような不幸があるわけではないのだけれど、細かい家のディテールや家族の言動の端々に、暗い影のようなものを見出してしまう。髪の毛の絡まったブラシを見つけるとそこに人生のあらゆるままならなさが集まっていると感じるし、祖母が一度冷蔵庫から出したおにぎりを食べずにまた仕舞うのを見ると、なぜだか悲しい。玄関の金魚は前よりも白く変色しているようだし、幹太(犬)の耳の炎症はきっと悪化している。だから東京にかえるとき、ぐちゃぐちゃに散らかった机を見ないようにして外出するみたいな、そんな罪悪感に近いものを感じる。本当はそこまで良くないことばかりではないし、小さくても何かしらの喜びが実家にも流れているはず。というのは分かっているけれど、うまくそれを見つけることができない。両親も祖父母も当たり前に歳をとっている。そのことはとても大きい。

 

2023.6.7

5時過ぎにバスタに着いて、新宿から千川まで電車で移動する。荷物を職場に置いて池袋へもどる。9時過ぎくらいまで「かるまる」で過ごす。早朝は少し安くなるので、少し迷ったけれど行ってみることにした。雨がやんでちょうど日がさしてくるところだったので、天窓や屋上がすごく良い風にかんじられた。最後もう少し昼寝できたらもっとよかったけれど、時間は決まっているので仕方ない。

「整える」というのは「解決する」とかと違って、完璧さを諦める性格があると思った。とりあえず、という枕詞のつくような。例えばサウナにいったところで持病が治るわけではないし、その人の体の根本的な解決にはならない。でも、とりあえず今現在の体感を「整える」。同じように、仕事でも生活のことでも、いつもいつも何かがままならない状態で毎日は続いていて、私たちは常に中途半端なままでしかいられない。だから、とりあえず目の前だけを整えることで、生き続ける。ちゃんと全部最後までやり切ろうとすると、その不可能性に殺されてしまうから。だから、いろんなことを留保して、一旦「整える」ことで、次のことへ目線をやれるのだと思う。