2024.2.29

 祖母から電話があって、ポンカンとみかんを送ってくれたらしい。祖母は果物を人に送るのが好きで、よくいろんな人に送っている。どういう理由なのか分からないけれど、習慣というか、身についたものなのだと思う。ポンカンはすぐ食べると酸っぱいから一週間くらい置いたほうがいい、だから先にみかんの方を食べてと言われた。そう紙にかいてあったらしい。

 一人暮らしなので、果物はものによって消費のスピードが悩ましく、みかんなんかはポイポイとひとりでも一日に何個も食べてしまうのでむしろすぐなくなってしまうくらいだけれど、例えばりんごは悪くしてしまいがちで、前に送ってもらったときは半分以上煮りんごにしてジャムとして食べた。

 一人で暮らしているとスーパーで買う食材というのもだんだん決まってきて、限定されてくる。自分の使いやすいというか、手札にあるようなものしか手に取らなくなる。

数日前、何かの映画をみたときに字幕でブドウという語がでてきて、そのときふと、ああ自分はブドウをこれから自分で買って食べたりすることがあるのだろうかと思った。自分で自分にブドウを買って食べる、そういうシュチュエーションを想像すると少しくすぐったいような感じがする。人に送ったり、一緒に食べることはなんとなくイメージできるし、きっとあると思うのだけれど、例えば食パンみたいに自分で食べるために買ってひとりで食べるにはどうにも芳醇すぎる類のものもあって、ブドウはそれのひとつだ。ブドウをどのくらい食べたかで、そのひとの孤独さを図れるような気もしてくるほどだ。ケーキやビールも贅沢品だけれど、そういうのはひとりでだって食べたくなるし、手が伸びる。そうではない、ブドウのかんじがなんだか、あるように思える。もしかしたら自分の勘違いかもしれない。いずれにせよ、たまには普段あまりかわない果実を手にとってみてもいいのかもしれないし、買って送りつけてみるのもよいのかもしれない。