2024.3.3

こういう何もすることがない休日には図書館に行く。一番近いのは、家から歩いて三分くらいのところにある。でもそこは税務署なんかが入った合同庁舎の一階で、ワンフロアしかない。それでも十分なのだけれど、もう少し歩くのを厭わなければ、もっと大きくて、地下まである図書館があるのに気がついてからそっちへ行くほうが多くなった。

 図書館にはいろんな人いて、それをみているのも楽しい。本を読んだり、パソコンを開いて作業したりしている。そうやってひとりでいる人の顔を見ていると、初めて会った人なのに、昔から知っている人の新たな一面を見つけたような気分になる。寝顔をみてしまったときのような、愛おしい気持ちが湧いたりもする。

 今日は日曜ですごく混んでいて、地下の席は全部埋まっていたので、仕方なく一階の端の長いソファに座った。いつもは地下の電源もあるところに座る。パソコンを持ってきたので、なにか作業―やっておいた方がいいことはいくらでもある―をしようと思っていたけれど、机のないソファではできないので、本を読むことにした。固有名詞のたくさん出てくる小説で、きっと面白いはずなのだけれど、いつのまにか寝てしまった。ソファは角度があって、首がいたい。

 朝の十時くらいまで寝ていて、それから起きて、シャワーを浴びたり洗濯物をしていたらあっという間に正午を過ぎる。それからまただらだらと過ごして、二時間ほどたった十四時あたりにやっと外へ出る気になって、図書館へと向かうのだ。本当は一日家にいたっていい。でもそれでは今日という休日になんとなく申し訳ないような、というよりも、もっと何かから逃げるみたいにして図書館に向かっているような気がする。

 そうやって過ごす日は、下手をしたら誰とも口をきかないまま一日が終わる。今度携帯にストラップをつけて、一日中自分の口元を録音してみてもいいかもしれない。しかし図書館には「お静かに」というルールがあるから、一日中図書館にいたら誰とも喋らないのは普通かもしれない。

 人と喋らない代わりに、色んなことを思い出して恥ずかしくなったり、機嫌をそこねたりしているので、意外と忙しい。最近、台所でひとり手を動かしながら、声にだして「ああ」とか「くそー」とか言っているのを、自分でよく分かる。人と一緒に住んだりしても、そういうふうに一人で声をあげるのだろうか。でも、人はそうやってひとりで何かを思い出しているときの方が本業で、誰かと一緒にいるときというのは、ひとりのときに何かを思い出すだめの材料をあつめているだけの、おまけみたいなものだという気もしている。

 図書館ではみんなと一緒にいるのに、ひとりぼっちだから、それがいい。それが本当の姿で、みんなお静かに、ひとりぼっちでいるのがよい。